Googleより人間に聞きたい時もある

少しでもインターネットを使ったことのある人なら、上のウェブサイトには非常に馴じみがあることと思う。“Let Me Google That For You”[私がググッてあげましょう]。LMGTFYは超独善的な笑えるサイトで、「自分でググるより人に聞いた方が便利だと思っている連中」にウンザリしている人たちのために作られた。

みんな知っての通り、簡単にググれる質問が、同僚や最悪の場合上司からメールで送られてきて、こちらでググって答えを返信するハメになり貴重な時間を無駄にするのは、非常にうっとうしい。本当に。

問題は、携帯電話のおかげで電話番号を覚えなくなったのと同じように、動詞としての「google」が、「think」という単語や行動を置き換えてしまったことだ。この検索エンジンは、人間の知識の代理収納庫となり、何よりもトリビア的ゲームのジャンルそのものを台無しにしてしまった。

たとえば、いかにGoogleが「クイズ$ミリオネア」のライフラインのひとつ「テレホン」に引導を渡したかを例にとってみよう。

「Googleのおかげで、誰もが友だちに電話をすると、Googleで答えを検索しはじめる。回答者はこんな感じ、『もしもしジョー?アスピリン、ア・ス・ピ・リ・ン』。キーを打つ音が聞こえてくる」

基本的にGoogleは、私たちの頭脳の延長になった。Steve Jobsが言う“bicycle for our minds”[仮訳:知性のための自転車]の大要がこれだ。今週私は、検索エンジンのアルゴリズムよりも人間に聞く方が適している、と思われる質問を二度ばかりしたが、二度とも「ググれよ」的な反応が返ってきた。

質問のひとつは、地元のレストランへの道順についてで、Googleマップの徒歩経路は、そこに徒歩と自転車で安全にたどり着くための道順とは大きく異なっていた(Google Biking directionsのことは知っているが、まだiPhoneでは使えない)。結局は私は雨の中で道に迷ってしまったのだが、それはGoogleマップの道順が示したフリーウェイ101と交差する非常に狭い橋が霧で見えなかったからだった。

Googleは全知全能ではない。サンフランシスコ・ジャイアンツがたった今ナ・リーグで優勝したかどうかに関して、隣の家から聞こえてくる叫び声の方が、どんなキーワードで検索するよりも速くより重要でより感情を満たすサインであることを、Googleは理解できない。世の中には無数の「ググり損ない」の実例があり(もちろんGoogle経由で見つけられる)、それらはこのサービスがいかに人間の体験の機微や複雑さに対応しきれないかということを、定期的に思い出させてくれる。

これまで人類が見てきた情報の集大成へのインデックスに、文字通り指先でアクセスできるのは素晴らしいことだが、「サンフランシスコでピザが一番おいしい店は?」とか、「Excelのこの関数はどう使うの」といった質問は、これからも私は人間に聞くつもりだ。質問する場所はQuoraのようなフォーラムかもしれないが。

そもそもどうやってGoogleがその情報を手に入れたのか考えてみてほしい。

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(翻訳:Nob Takahashi)