Quoraが目指すのは「より優れたWikipedia」―Robert Scobleは大きな勘違いをしている
今日(米国時間4/31)、Robert ScobleはQuoraを大いにけなした。2週間ほど前に私は「スーパー・ブロガー、Robert Scobleは特定のテクノロジーやスタートアップに対して非常に強い言葉である立場を主張したかと思うと、あっという間にその意見を180度変えることがある」と書いた。
私は彼のそういう変わり身の早いところが好きだ。
新しい証拠に基づいてためらいなく意見を修正するというのは、もちろん立派な態度である。しかし、今日のQuoraに対する非難は根拠のある意見とは言えない。 ScobleはQuoraをブログないしFriendfeedやTwitterのようなコミュニケーション・サービスの一種だと決めてかかり、そういうものとして彼の期待どおりに機能していないことを発見して、だからダメだと言っている。基本的には彼の投稿がユーザーによって低く評価されることに腹を立てているのだ。
「最低のブログ・サービスだ」とScobleは言う。
それはその通りだ。Quoraはブログするのに向いた場所ではない。なぜなら他のユーザーが自分の投稿を編集したり削除したりできるからだ。ここでは自分の意見を聞いてもらいたかったら、ルールに則って礼儀正しく振舞う必要がある。それだけを考えてもこれはブログ・サービスではない。
ずっと前からわれわれの多くはすでに気づいていたことではあるが。
QuoraはQ&Aサイトという建前になっている。しかしそれは自動車を「ガソリンを燃やす機械」と定義するのと同じくらい見当はずれだ。
Scobleの場合でいえば、彼は自動車について「料理ができない」といって怒っている。
Quoraについては、TwitterやFriendFeedやブログのようなものだと考えず、Wikipediaのようなものだと考えるべきだ。これは知識ベースである。そもそもAboutページにこう書いてある。
Quoraはユーザーすべてが協力して執筆し、編集し、整理することによって常時改善を加えられる一連の質問と回答です。ある質問に対する回答のページが、その質問の回答を知りたいユーザーにとって最良の情報源になるように努力することがもっとも重要です。
Quoraは人々が友達に質問したりウェブを検索したりして疑問を解こうとするときのキャッシュのようなものだと考えてもいいでしょう。やがて、ある疑問についてQuoraのページが存在することが分かれば「すばらしい! それならここには知りたいことが全て集められているはずだ」と皆が思うようになることが目標です。
知識の蓄積
多くの人々がQuoraを利用して身の回りのさまざまな事柄を記録すれば、この知識データベースは成長を続け、誰かが知りたいと思うほとんどあらゆるテーマについて情報を提供できるようになるでしょう。ひとたび知識がQuoraに記録されれば、それはいつまでもそこにあって、興味を抱くすべての人々から利用可能になります。
この最後の一節を読み返すたびに、私はWikipediaを思い浮かべずにはいられない。Robert Scobleがファンと会話するための整然とした舞台を提供するのがQuoraの役目でないのは明らかだ。
Wikipediaと同様、Quoraは自分の意見を表明する場所ではない。コミュニティー(とQuoraのモデレータたち)が求めているコンテンツは、気の利いたセリフやレトリックではなく、そのテーマを深く理解している専門家による事実の解説だ。Quoraがドメイン名を取得して以来ずっとやっているのはそういうことだ。
それがScobleにとって不愉快かどうかは無関係だ。
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(翻訳:滑川海彦/namekawa01)


