43年前の今日、人類が月面を歩いた
テクノロジー愛好家でニュースサイクルの奴隷であるわれわれは、いつも次の新しい何かに心を奪われている。私の中の皮肉屋が言うことには、 主戦論者でさえなし得なかった完璧さと集中力によって歴史の流れを変えた、あの月面着陸の43周年記念日は、単なる月面着陸記念日の一つにすぎない。25周年でも50周年でも100周年でもない。43年前の今日(米国時間7/20>)、協定世界時8pm頃に起きた一つの出来事にすぎない。要するに、われわれ同様に無力だった二人の人間が、時間と訓練と意志の力と当代有数の偉人たちによって宇宙に送り出され、New York Timesが「細かい粉のような」と報じた月の表面に踏み出した日である。
ではなぜ、この日を称えるのか。それは、第二次世界大戦以降、われわれを今日の技術進歩の道に強く根付かせてきたのが宇宙開発競争だからだ。もし、人類の技術が惨めなほど未熟だったあの頃に、われわれが成し遂げたことをやろうとしていなかったなら、今でも月や星たちは手の届かないものだったに違いない。
それがこの記念日が重要であり、現在のわれわれを作ってくれたものを思い出すことが重要である理由だ。ますます繋がっていく世界では、ニュースはあらゆる方向から瞬時にやってくる。何一つ新しくなく、何一つ「クール」でもなく、すべてが模倣だ。しかし、初めて月面のカメラからほとばしり出た一筋の電磁エネルギーが、待ちわびる大衆の耳と目に届いた時、このすべてがインスタントの世界は、白黒の輝きの中で生まれた。人が月の上でやっていることを見られるのに、近所や世界で何が起きているかをどうして無視していられようか。
月ロケットの与えた期待は偉大であり、そこから得た恩恵は数多い。まだ道のりは長い。月ロケットは重要な始まりであり、人類の創造力はその出発点から、はかないビットを主に扱う巨大な産業や、新しい輸送技術、そしてあの最初の着陸を再現しその小さなゴールの先を目指す人たちへと広がっていった。今人類は地球上で〈静かの海〉に住むことはできないかもしれないが、いつか恐怖や狭い了見や政治を捨て、自分たちの手で古い物の上に新しい世界を作れる日が来るかもしれない。
参考資料:
NASA 月面着陸の映像
Buzz Aldrinによる記録映像”The Magnificent Desolation”
最初に月面に立った人間
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(翻訳:Nob Takahashi)


