客観報道は無力: 記者の意見を盛り込んだ記事のほうが市民の参加意識を高める

客観報道を絶対視するベテランのジャーナリストたちが今、記者やライターが自分の意見をはっきり述べているタイプの記事に人気を奪われつつある。それはMSNBCやFox Newsのような既存の放送メディアだけでなく、インターネット上のニュースブログでも同様だ。21世紀においても客観報道が勝つ、と論ずる人は多かったが、現実はどうだろう? 最近の研究によると、筆者の主張がある報道のほうが、客観的な報道よりも、読者の政治的な関心や参加意欲を高めるそうだ。
これまで長年、多くのメディアが、客観的な教育こそが健全な民主主義を育てる、と想定してきた。しかしそういう従来的なメディアが見落としていたのは、多くの読者や視聴者が何よりもまず、自分がその事に対して積極的な関心を持つべき理由を求めている、ということだ。“たんなる観察者の目で書かれたニュース記事、特定の視野や観点のない記事は、一般市民のあいだに政治からの離反感情を喚起する”、Sungkyunkwan University(韓国・成均館大学校)のMinha Kimは、こう説明している(ただし政治意識の高い読者は客観性を重視する(後述))。
この研究では2グループの学生たちに、客観報道の記事と記者が独自の見解を強調している記事を読ませた。記事は、狂牛病を持ち込むかもしれない合衆国の牛肉を韓国が輸入することに対する抗議活動を取り上げている。2グループのうち、この問題をほかの人と話し合わない、政治的無関心派に属すると思われる学生たちは、記者の主張のある記事を読んだあとに、自分も抗議したいという気持になっている。政治的無関心派は“自分で判断し行動するための成熟した知識を自力で獲得していないので、政治的参加を強くうながしているニュース記事が、彼らの行動意思に強い影響を与えている”、と研究報告は結論している。
しかしこの研究の結果は、100%の「意見報道万歳」ではない。2グループのうち、日常的に政治意識の高い学生たちは、客観報道のほうに強く影響されている。つまり、知識があって政治参加意識も高い人びとにとっては、従来的なジャーナリズムが依然として重要な役割を担っている。ただしそれは、有権者の中の少数派だが。
したがって結論としては、21世紀に勢いを増してきた、記者が自分の意見を明確に述べるタイプのジャーナリズムは、アクティブな市民になるための良き理由を必要としている大量の読者たちに対する、民主化効果がある、ということになる。
この研究のことを教えてくれたTiago Peixoto、ありがとう。


